杏林大学付属病院 高齢医学科医師、認定内科医 現在は「認知症(もの忘れ)運動療法」について研究中。
埼玉県さいたま市(当時の大宮市)出身。埼英スクール大宮校に小学校4年生から入学し英語、国語、算数を習う。6年生になり、中学受験クラスの1期生として上尾西口校に編入。以後中学卒業時まで在籍。
私立帝京中学校入学。(他、明治学院中学合格。大学に医学部のある帝京へ入学。) 中学時代も埼英スクールに通い、埼玉県イングリッシュスピーチコンテスト決勝大会に第1回〜第4回まで連続出場。中学1年・3年時には同大会優勝。
中学では、卒業時に学年総代。(評定平均4.9)
私立帝京高校入学(高校の評定平均4.9)。
高校1年時、英検2級取得。
私立杏林大学医学部医学科合格(現役合格) 同校卒業後、杏林大学医学部付属病院 高齢医学科入局。現在に至る。 |
「私の学生時代〜現在」
今から20年程前は、英語教育の重要性が注目され始めた時代でした。そんな時流もあって、小学4年時に地元で唯一の英語塾であった埼英スクールに自ら希望して入学しました。少人数指導のため先生方ともすぐに親しくなり、週1回の授業は待ち遠しいものでした。また埼英での「勉強」以外にも書道やデッサン、水泳や野球も習っていましたが、全て自ら進んで通っていたものでした。最大で「1週間に8個の習い事」なんてこともありましたが、全て親に頼んで通ったものでしたから「途中で辞める」ことは許されませんでした。
私は小学生の頃から医師になりたいと考えていましたが、当時は漠然とした憧れだけでした。そんな時、埼英にも中学受験クラスができると聞いて唯一そのクラスが作られた上尾西口本部校に編入を希望。しかし編入試験は不合格で、「見学でもいいから」と編入を許可してもらったのを覚えています。編入後も授業についていくのが精一杯で夏の全国模試では偏差値が30台後半、受験前の12月になってもテストでは毎回最下位(本当に毎回)でした。そんな「落ちこぼれ」の私に授業後も熱心な指導をしてくださったのが、現在はスクール長で当時「算数」を教えてくださった松村先生でした。先生には基本的な質問に何度でも丁寧にお答えいただきました。今思えば、埼英の授業が楽しいから諦めずに勉強できたのだと思います。
その後、埼英の授業の虜となった私は中学入学後も埼英に通い続け、猛烈に勉強しました。分からないところは埼英で質問し徹底理解を心がけ、とにかく「繰り返し」授業を復習しました。おかげで高校入学後には、全国模試で偏差値80を超えることも多くなりました。
また小学6年生時に「埼玉県イングリッシュスピーチコンテスト」の第1回大会が開催されました。運良く第1回から第4回大会まですべて決勝大会に進み、中学1年・3年と2回の優勝を経験できました。昨年秋には記念すべき第20回大会を迎え特別審査員として参加させていただきましたが、このように長年に渡って続く大会になるとは思っていませんでしたし大会の盛況ぶりには大変驚きました。当時のスピーチコンテストでは課題文が指定されていたため、発音の出来が勝敗を左右する厳しいものでした。このため課題文にある単語1つ1つを数百回ずつ練習し、単語をつなげて文章にし、滑らかで自然な発音に近づけていきました。更に埼英の外国人講師の先生にチェックを受けるという過程をひたすら繰り返しました。埼英の英語の授業では定期的に外国人講師の授業がありましたが、今の英会話学校で教える「誰でもできるカッコイイ発音」ではなく「基本に忠実な発音」を学ぶことができました。受験英語はもちろん、発音にも厳しい埼英の授業のおかげで優勝できたのだと思います。
大学入学後も往復4時間通学を6年間続けて下宿代を削り、学校帰りにアルバイトを続け、奨学金制度の援助を得てどうにか大学を卒業することができました。奨学金制度では高校の成績が重要視されますが、評定平均4.9だったこともあって学費の3分の1を工面できました。
医師国家試験合格を埼英の先生方にお伝えした時、「あの杉山が医者になるとはねぇ〜」と驚きつつも喜んでくれたことをうれしく思います。
医師という仕事は過酷なものです。研修医1年目の頃は、1ヶ月に25日当直なんてこともあって、帰れた日も深夜に洗濯して翌朝7時には仕事を始めていました。今でも夜中に呼び出されることは度々ありますが、充実した毎日を送っています。
「後輩の皆さんへ」
皆さんには夢がありますか?将来就きたい職業はありますか?小・中学生では、まだまだ決められないという方も多いと思います。日々の勉強でつまづき夢を諦めたくなることも沢山あると思いますが、私も同じでした。今では希望する道に進むことができた私ですが、医師になれる保障なんて当然全くなかったわけです。私は自分の可能性を広げるために沢山の習い事をしていましたが、人生、思わぬところで意外なことが役に立つものです。「昔とった杵柄」ではありませんが、小学生の頃から書道を続けていたおかげで、今ではテレビドラマのタイトル用の題字を依頼されるようになりました。またスピーチコンテストに参加したことがきっかけで昨年には特別審査員のお話を頂き、埼英への恩返しと思って参加させていただきました。
皆さんは若く、溢れる可能性を持っています。どんなことが役立つか分からない世の中ですから、自分の可能性を狭めず、どんなことでもチャレンジしていってください。
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